●目次 |
1.はじめに |
2.財団設立の経緯と変遷経過 |
3.設立当時の財団事業 |
4.五峰保育園の運営 |
5.第二次大戦前後の低迷と再興 |
6.公益財団法人の認定 |
7.事業助成の実績 |
8.歴代理事長・代表理事と在任期間 |
9.関係者の経歴 |
10.かつての事業 |
11.五峰興風会関連年表 |
1.はじめに |
公益財団法人 五峰興風会(ごほうこうふうかい)(以下「当財団」という)は、昭和9年9月14日 かつての滋賀県神崎郡五峰村(ごほうむら)(現東近江市能登川地区・能登川南小学校区域)に設立されました。 |
2.財団設立の経緯と変遷経過 |
当財団は、設立者田附政次郎(たづけまさじろう)が、近江商人として活躍した初代 田附政次郎の一周忌にあたり、先代の遺志を体し別掲の設立趣意書をもって、昭和9年5月5日付で当時の内務大臣宛に財団法人の設立許可申請を行い、同年9月14日付で設立許可を得ました。 きっかけは二代目政次郎が故郷の五峰村に金10万円と京都・岡崎の屋敷内にあった建物を寄贈しました。五峰村はこの基金を村の会計に入れることなく、寄贈の趣旨を生かすべく寄贈者の申請による財団法人の設立となったものです。 財団法人初代理事長には申請当時の五峰村村長である田附新兵衞が就任して発足いたしました。 当時の大阪毎日新聞滋賀版にはこのことが大きく取り上げられています。 |
昭和9年5月6日付 大阪毎日滋賀版 |
創設者一族の発祥の地は現在の東近江市佐生町であり、昭和9年当時、当地は「五峰村」に属していました。 「五峰」とは能登川南小学校の背後に聳(そび)える猪子山の呼称であります。因みに、能登川南小学校校歌の冒頭における「琵琶湖の南 聳え立つ 五つの峰の学び舎に」の一節は、この地名に由来するものと思われます。 その後、昭和17年に五峰村を含む近隣5村が合併して「能登川町」となり、平成18年の市町合併で「東近江市」となりました。 長らく「財団法人」として活動を続けてまいりましたが、国の公益法人改革に伴い、滋賀県の認定を得て平成22年4月1日付で「公益財団法人 五峰興風会」となり、新たな活動を開始いたしました。 昭和9年に、この財団設立に対し五峰村々長から感謝状を受けています。 |
3.設立当時の財団事業 |
昭和9年に10万円の資金を以て設立された当財団は、五峰村(現在の東近江市能登川地区内の南小学校区域)を対象に事業を開始しました。設立初年度の事業計画概要書には次のような記録があります。 |
昭和九年度五峰興風会事業計画概要書 (原文のまま) |
一、講演会関係 1 国民精神作興に関する講演会 2 産業ニ関スル講演会 3 教育ニ関スル講演会 4 宗教ニ関する講演会 一、公益事業 1 蚊族駆除ニ関スル事業 2 寄生虫駆除ニ関スル事業 3 通路補修事業ニ関スル事業 4 街灯普及ニ関スル事業 一、救済事業 棄児孤児貧児の養訓育又は一般窮民の救済 救療に関する事業 或ハ之等事業ニ対スル補助 一、軍人軍属公職者援護事業 1 五峰村尚武会ノ助成 2 其他 一、表彰事業 忠君愛国ノ誉アル者 孝子節婦又ハ人命救助者其他美行アルモノノ表彰 一、教育事業補助 1 修学旅行費補助 2 教員教育視察費補助 3 器具設備補助 4 貧困児童学用品補助 5 体育奨励費補助 一、産業奨励及研究ニ関スル事業 1 火力乾燥場設備補助 2 種苗無償又ハ半額補給配布 3 副業奨励補助 4 産業視察費補助 一、各種団体事業費補助 1 五峰村青年団補助 2 五峰村處女会補助 3 五峰村主婦会補助(託児所開催補助ヲ含ム) 4 在郷軍人会五峰分会補助 5 敬老会補助 一、警備費補助 瓦斯倫喞笛購入ニ對シ補助 |
昭和9年といえば、大陸中国での情勢がきな臭くなり、前年に日本が国際連盟を脱退するという、その後の混迷の初期でした。当財団の事業内容もまさに時代背景を映し出すものになっていて、軍人や宗教に関する事項から、蚊や寄生虫の駆除まで、当時必要とされていたものが列挙されています。 当時の10万円はかなりのものでありました。因みに、昭和初期の五峰村予算が3万円余であった記録もあり、また愛知県の護国神社(戦災前のもの)が昭和10年に17万円をもって社殿が竣工されたとも記されています。時代状況もあり実際にどれだけのことができたかは定かでありませんが、設立当初の意気込みには感じ入るところがあります。 |
4.五峰保育園の運営 |
幼児教育に資するものとして、現在能登川南小学校前の五峰モータープールとなっている地に、「五峰保育園」が設置され昭和12年11月15日に開園しました。因みに諸経費を含む総工費は8,421円86銭でした。 |
五峰保育園の園舎(後に能登川病院となる) |
昭和12年当時の保育園日誌 | |
当日の出席者として、 五峰村村長、五峰興風会理事長、 同理事田附義一郎らの名前が記 されている。 |
昭和15年の五峰保育園日誌の表紙 | |
在籍者は櫻・藤の2組で計100人を数える規模であり、現在当財団の役員を務める者の中にもその卒園者がおります。 当財団の理事長が園長を兼ね、関係者が運営の実務を担当していました。 保育園に勤務する従業員に支給する給与は、五峰村の規定に準ずるものとされていたことも記されています。 |
五峰保育園卒園写真(昭和18年3月) |
第二次大戦中(昭和19年12月)に、園舎は日本医療団能登川診療所に転用されることとなり、保育園は猪子町の正福寺に移りましたが、戦後、進駐軍の指導により廃園となりました。この診療所は昭和22年に能登川町健康保険に移管され直営能登川病院となり、昭和34年に改築され平成7年に現在の東近江市立能登川病院として猪子山の麓に移転するまでは、財団が提供する当地で診療を行っていました。 また昭和29年には、その2年前に再開された正福寺保育園を引き継いで「興風保育園」として開園され、財団はその支援活動を行っています。その後、能登川町立のひばり保育園が開設された昭和56年まで幼児教育が行われました。 |
5.第二次大戦前後の低迷と再興 |
戦時中の統制や戦後の経済の混乱・急激なインフレに伴う貨幣価値の著しい低下等に伴い、事業運営は困難になり低迷の時期を迎えたようです。それまで能登川町役場の会議室としても活用され、風格のある建物であった「興風館」が昭和24年3月に火災により焼失してしまったこともあって、残念ながらこの間の活動を伝える資料はほとんど残されていません。その後昭和53年に滋賀県の指導を受けて財団の体制を見直し、今日につながる形での運営を行ってまいりました。 |
6.公益財団法人の認定 |
平成20年、国の方針により公益法人改革が行われるなか、当財団は創設者の遺志を推察し、県内でもいち早く公益法人への移行認定申請を行い、平成22年4月1日から「公益財団法人 五峰興風会」としての活動を開始しました。 |
7.事業助成の実績 |
当財団の主たる事業としての「公益団体に対する事業助成」は公益財団法人に移行して以降の12年間で、助成金として延べ97団体の114事業に対し1,627万円を行いました。また東近江市社会福祉協議会を通じて、能登川地区社会福祉事業への毎年の寄付(善意銀行)のほか、社会福祉法人汀会止揚学園への寄附を継続しています。こちらは12年間で、37案件、336万円を行っています。 貸館については、地元神郷町出身でカナダ・トロント市に在住の画家、山本博氏の個展「カナダの風と光・山本博展」を平成27年から令和元年までの5年間開催しました。(以後、コロナ禍により中断中) |
8.歴代理事長・代表理事と在任期間 |
☆財団法人 五峰興風会 初代理事長 田附新兵衛 昭和 9年9月~昭和17年9月 二代理事長 中村芳三郎 昭和17年9月~昭和21年9月 三代理事長 田附義彰 昭和21年9月~昭和34年1月 四代理事長 田附伊助 昭和34年1月~平成 7年 6月 五代理事長 田附昂夫 平成 7年 7月~平成22年3月 ☆公益財団法人 五峰興風会 代表理事 田附昻夫 平成22年4月1日~現在に至る |
9.関係者の経歴 |
☆初代 田附政次郎 |
文久3年(1863)12月15日滋賀県神崎郡五峰村大字佐生に生れる。 伊藤忠商事株式会社の開祖である初代伊藤忠兵衛は叔父にあたる。 明治9年(1876)14歳の時、叔父伊藤忠兵衛の経営する紅忠(現在の丸紅)に丁稚(でっち)として入店、2年後には独立して、麻布や呉服の行商を始め、苦労の末大阪に店を構えるまでになり、徐々に事業を拡大していった。 綿糸布商を営み田附商店取締役社長の外、大阪商業会議所議員、大日本綿糸布商連合会委員、豊國土地、日東捺染、日本カタン絲各社社長、大阪住宅経營(株)取締役、和泉紡績、江商、丸紅商店、城北土地、日本伝染製造の各社監査役を歴任 大正10年12月 紺綬褒章受章 綿糸・綿花・綿布の三品を扱う大阪三品取引所の先物取引相場で名をなし、「田附将軍」と称せられた。創設にかかわった「日本カタン絲株式会社」はその後「湖東紡績株式会社」となり、昭和19年6月日清紡績株式会社能登川工場となった。 明治22年創設の「田附糸店」は、大正10年11月「株式会社田附商店」となり「船場八社」の一つと称されたが、昭和35年3月当時の日綿實業株式会社(後のニチメン株式会社、現在の双日株式会社)と合併した。 |
初代政次郎の社会貢献 |
大正10年かねてから出願していた(旧制)能登川中学校建設が不可能となったため、中学校用地として既に買収していた土地を五峰村教育会に寄付した。 政次郎は大正2年に大病を患う一方、大正14年7月とも夫人を亡くしたこともあって、治療を受けた京都帝国大学医学部に医学研究の発展に寄与することを願い金50万円を寄贈した。この基金により大正14年11月「財團法人田附興風會」(現公益財団法人田附興風会)が設立され、昭和3年2月大阪北区に「財團法人田附興風會 医学研究所 北野病院」が開設された。 昭和3年には財団にさらに15万円を、また大阪府に50万円を寄付した。 |
現在の北野病院 | 開院当時の北野病院 |
昭和7年、隣村の神郷町にある乎加(おか)神社への佐生地先の参道入口に、一族の賛同者とともに大燈籠(常夜灯)を設置した。 昭和8年4月26日芦屋の伊藤長兵衛邸にて逝去 享年71歳 伝記に「田附政次郎傳」「綿機業界放言集」 (いずれも昭和10年株式会社田附商店発行)がある。 |
相場師としての 田附政次郎 | |
田附政次郎は綿糸相場において活躍し、世の中から『田附将軍』と呼ばれ、売りを得意として勝ち抜いたと言われる。 田附政次郎は相場を行う上で幾つかの名言を残している。 •『知ったら仕舞い』 周知の事実となった材料は妙味なく、相場にとって無意味なもの •『熟柿(じゅくし)触(ふ)るれば墜(おつ)るほかなし』 赤く熟した柿はちょっとしたことですぐに落ちるように、行き過ぎた天井相場は小さな悪材料に反応して下げの連鎖がおきる •『売るべし、買うべし、休むべし』 儲けやすい(判り易い)相場の時は、遠慮なく「売り」「買い」を仕掛けなければならないが、儲けにくい相場になった時は手仕舞い完全に休む |
☆二代 田附政次郎 【当財団創設者】 |
明治29年(1896)11月21日生 京都の大橋孝七の四男孝造として誕生、大正9年初代政次郎の養子となる。 昭和8年5月1日政次郎の家督相続 昭和8年7月4日 二代目政次郎 襲名 田附商店、湖東紡績、旭殖産各(株)代表、日東捺染、東津農業、日本カタン絲、東洋毛絲紡績、豊國土地、太陽レーヨン、満州製絲、各(株)取締役、天満織物、江商各(株)監査役を歴任 昭和9年9月 財団法人五峰與風会を設立する。 昭和51年6月30日逝去 享年81歳 |
☆田附正夫(三代 田附政次郎) |
大正12年9月28日生 二代政次郎の長男として誕生 三和銀行に勤務し、香港支店長・ニューヨーク支店長等を務めた後、専務取締役米州統括、NTN㈱副社長を経て、三和キャピタル㈱取締役会長、いすゞ自動車㈱監査役を歴任 キャスター国谷裕子氏の父である。 訳書に、「『型』日本の秘密兵器 日本の未来を左右する強みと弱み」 ボイエ・ディメンテ著 HBJ出版局発行がある。 平成29年7月5日逝去 享年95歳 |
10.かつての事業 |
現在実施している公益団体への事業助成方式より以前には、次のような事業も実施していました |
能登川中学校テニスコート設置 | |
当時の財団評議員が所有地を提供し、テニスコートの新設工事を支援する(平成16年)。 |
能登川南小学校校庭に石灯籠設置 | |
日清紡績株式会社の工場閉鎖に伴い、旧能登川工場内庭園にあった雪見灯籠を譲り受け、南小学校校庭に移転設置する(平成13年)。 |
*コラム* |
「昭和9年の10万円って今ならいくら位なの」というのは誰しも思うもの。 当時の物価を見てみると、コメ1俵14円80銭(この年は大凶作で前後の年は11円程度)、国家公務員の初任給が75円、朝日新聞が月1円といったところで、当時の1円は現在の2,500~3,000円程度とのこと。 これからするとおおよそ2億5千万円~3億円というところでしょうか。 当時の日本の人口は6,925万人(昭和10年)、五峰村は2,948人(昭和15年) 昭和9年9月21日には関西を中心に中心気圧911hPaという大型台風【室戸台風】が四国から京阪神にかけて上陸し、死者行方不明3,246人、4万戸が全壊する被害となりました。 最大風速60mの突風が吹き荒れ大阪港では2,000隻を超える船が沈没し、滋賀県大津市の鉄橋の上を走っていた東海道本線急行電車は横転転落し多数の犠牲者を出しました。 また大阪市の天王寺では五重塔と仁王門が倒壊し、市内の小学校では44校が倒壊し多くの犠牲者が出ました。 |
11.五峰興風会関連年表 |
文久3年12月15日 | 初代田附政次郎生誕 |
大正14年10月10日 | 京都帝国大学医学部に金五十万円を寄贈し、大阪市北区扇町に財団法人田附興風会北野病院を設立 |
昭和8年4月26日 | 初代田附政次郎逝去 |
昭和9年4月26日 | 二代田附政次郎 財団設立趣意書起草 |
昭和9年5月5日 | 財団法人五峰興風会設立認可 |
昭和9年9月14日 | 財団法人五峰興風会設立 初代理事長に田附新兵衛前五峰村長が就任 |
昭和12年11月15日 | 五峰保育園設立 (戦後間もなく正福寺保育園に移管) |
昭和17年9月14日 | 二代目理事長に中村芳三郎が就任 |
昭和21年9月14日 | 三代目理事長に田附義彰が就任 |
昭和24年3月 | 興風会館焼失 |
昭和34年1月 | 四代目理事長に田附伊助が就任 |
平成7年7月 | 五代目理事長に田附昻夫が就任 |
平成22年4月1日 | 国の公益法人制度改革により,新たに「公益財団法人 五峰興風会」となる 初代代表理事に田附昻夫が就任 財団のホームページを開設する |
平成23年3月18日 | 東日本大震災に対し義捐金として10万円を寄付 |
平成25年4月1日 | 公益目的事業において、助成対象事業の公募制を採用、選考委員会による選考を経て助成を決定 |
平成26年9月14日 | 財団設立80周年記念事業として ・記念式典の実施および滋賀大学宇佐美英機教授による講演会を開催 ・創設者発祥の地に「五峰興風会館」建設 |
令和元年9月28日 | 財団設立85周年事業として ・キャスター国谷裕子氏による講演会を開催 |
令和2年7月13日 | 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、東近江市に金50万円を寄付 |